「団塊が電車を降りる日」もうひとつの物語

dankai

「-トランジットライフ マーケティング白書- 団塊が電車を降りる日」編著 辻中 俊樹(出版 東急エージェンシー)

文:辻中 俊樹

この本でアプローチしたモチーフは、男の物語である。いいかえれば男の市場のことである。

シニアに足を踏み込んだ男達のボリュームゾーンが、どんな生活価値観を生み出し、そしてライフスタイルを顕在化させていくのかが、そのテーマである。だから、女性の話はしなかった。

ところが、このことは同時に女性のライフスタイルの話であり、市場のことである。実は、この本では書かなかったが、底流を形成しているモチーフはそれだった。逆説的にいえば、この「電車を降りる日」の行く末が、女性のライフスタイルと市場に、影響を与えるといえるからだ。

すでに、女性は元気であり、大いなる市場を形成している。それに対するアプローチについての巧拙はあろうが、いずれにせよそのポイントはわかってい るといっていい。またその娘の世代である団塊ジュニアの女性達もまた、いろいろな意味で元気であり、市場としての方向性は明確であるといってもいい。そし て、この母と娘の間での価値観の共有性相互の影響関係、情報の流通については、すでにハッキリしたものがみえているといっていい。

このことは、90年代半ばに「母系消費」というコンセプトで仮説だてたことと、未婚化の促進によって新しいライフサイクルが顕在化していることは20世紀末に「終わらない春」で解いたところだ。

この線に沿って、ミクロの解析を継続していくことで、さらなる奥行きがついていることもハッキリしている。先日、日本交通公社の小林さんとお話しし ていて、成る程と思うことがまた追加された。 国内旅行の中で、京都が今、一体どうなっているのかという話であった。データを見ればすべてがわかる。京都への観光者は、グロスでみれば横バイだが、男女 でみれば女性は伸びており、その上、それを支えているのが、50代であることがハッキリしているのだ。

こういう、キチンとした仮説に基づいたデータの解析は素晴らしい。また、70年代は20代の女性が京都観光の中心であり、今、50代である。つま り、20代に若者として京都に行った女性達が、今、50代になって再び京都に帰ってきているともいえる。確証はないが、かなりの度合、そういえそうだ。青 春復活であり、懐かしさである。これは男と一緒である。とはいえ、その当時と求めているものが異なっているのだ。

ここから先はいわない。こんな細かいデータをみていくことで、いろいろなことがわかるというものだ。

さて、ここで重要なのは、男たちの行動の方向性が、この女性達の旺盛な行動と市場に対して、ブレーキになるのか、アクセルになるのかが重大な岐路に なるということになる。恐らく、女性達はもう行動を変えたりはしまい。とはいえ、「亭主元気で…」は事実である。その受け皿が、 会社であったことは否めない事実である。

このことは男たちにもわかっていることである。そして、また団塊世代の男達にとってみればさらに自明ということになろうか。この点でみれば、これまでのシニアとは異なったイノベーションが起こりうるといっていいのだろう。

この本で探求したこと、そして7つのプラクティスとして提示した計画については、男達の問題であるだけでなく、元気で活動的なおばさんのマーケット の阻害要因にならないためである。空白の10年以上の日本の中で唯一個人消費の落ち込みを支えていたのが、このおばさん達なのである。

これを停滞させる手はない。男達の次の物語は、おばさん達の物語、そして娘たちの物語の支えになるかどうかを意味している。

この本で書かなかったことの、たった一つのポイントがこれである。さて、その次にでてくるであろうポイントは、団塊の男達の影にかくれてしまっているが、その息子たちの世代、30代以下の男達のことである。

これまで、日本のマーケティングは、ただの一回も、男達を貫く戦略を提示したことはないのだ。若者が人口的にも大勢であった頃、若者消費としてもてはやしたことはあるものの、それからというものまるで無視されてきたのだ。

そのことを、手繰り寄せていくためのヒントは、今回十分にあったというべきではないだろうか。

いずれにせよ、もう一つの物語は、女達のマーケットをさらに活力のあるものとするために、この物語はあったということであり、そのことはずっと継続している我々のモチーフである。